そうだ!三途の川を渡ろう!
ド-バーが渡れるのなら三途もいける!推進委員会のpopeです!

毎日時間のある時に少しずつ書き溜めたものです。
子供の頃のこと、東京に出て初めて一人暮らしをした時のこと、初恋
多くの人に揉まれて成長させてもらったこと、地元に帰ってがっかりしたこと
などなど、アンポンタンpopeが如何に生成されてきたか?を思い出したくない
事を含めて、超個人的な話をしようかと思います。

四回目となります、おバカ記憶の物語ww
今回は小学校高学年編という事で書いて参ります!

その前にこの時期の記憶にある最も重要なことを話して
おかなければなりません!

それは二年生の頃から始まった、イジメです。

    けしからん!

当時大卒初任給は2万8千円から3万円ぐらいでしたから、家族4人世帯で
の平均収入は?というと約4万円前後ぐらいだったのでしょう。

うちでは商売をしておりそれも特殊な分野でのものでしたから、普通の
サラリーマン家庭より裕福だったと思います。

ですから同じ洟垂れ小僧が集まっても、小生の着ているものや持ち物は
他の子達とちょっと違ったのでしょう。
それだけが原因とは言えないと思いますが、仲間はずれや持ち物を隠される
といったことは日常茶飯事!でしたね。

そのことに対して小生は特別訴えるようなこともせず、ただなんでだろう?
と考えていただけでしたが、持ち物が無くなれば当然母親がどうした?と
聞いてきました。

その場しのぎのうそをついたりして誤魔化してましたが、イジメによるもの
ということがやがてばれまして・・・

母親が心配をし、関係修復を試みたことも何度かありましたが、無駄に終わり
そういうことが卒業するまで続きましたww

そんな中、今まで住んでいた父親の両親と同居していたところから引っ越し
をしまして・・・
引越し先は徒歩で10分ほど離れた一軒家でした。

そこにはお風呂もトイレも家の中にあり、祖父母のところとは違ってとても
快適に過ごせそうな家でしたね。

祖父母のところはお風呂もトイレも外にあり、昔ながらのボットン便所w
二度ほど便槽に落ちそうになったことがありますw体半分がww

引越しと同時に本来なら転校しなければならなかったにもかかわらず
転校は嫌だ!と駄々を捏ね、結局卒業までの二年間片道30分以上かけて
通学することに。実際は一年後に新興住宅地へ新築した家にまた引越し
したので、約一年はバス通学でしたがね・・・

ここで9歳離れた弟ができ、とても可愛がっておりました。
(そう思っていたのは自分だけww)
二番目は亡くなってますので、三男になります。

今思うとなぜイジメがあったにもかかわらず、引越しと同時に
転校しなかったのか?・・・・・・

本人にもわかりません!
深い記憶の淵を覗きこんでも浮かび上がってくることは何も無いのですが
思い当たるとすれば、父親と同じ小学校を卒業したかったのでは?
ということぐらい・・・

開校百年を超える歴史ある小学校でしたから。

この頃、父親は小生にあるものを買ってくれました。
それはこれからの人生半分がどっぷりと浸かってしまうほどの影響を
与えてしまったものだったのです!


長くなりましたので、今回はこのへんで・・・

本日も最後まで読んで頂きまして、ありがとうございました。

あいまいな記憶に、お勤めでございます!

なんまんだぶ なんまんだぶ・・・・・・・・