難しいことを考えすぎて知恵熱にうなされるpopeです!

今回は、稀なケースで旦那さんが日系人でその奥さんのマリアのお話です。

二人は、レイテ島タクロバンから車とバイクタクシーで4時間余りの
超ど田舎!周りはジャングルで覆われ、救われるのはすぐ目の前が海で
まるでリゾートアイランドにいるかのような生活空間だそうです。
             ヤシの木とビーチのイラスト(背景素材)
が、マニラと違い頻繁に起きる停電、水道がない為雨水を貯めて使うなど
不便この上ないところだと話してました。
       停電のイラスト   貯水タンク・貯水槽のイラスト
もちろん料理は薪を使い、かまどは3つあったそうで煮炊きは時間が掛かるが
そう不便さは感じなかったとのこと。でもやはり日本に来て常にガスが使える
のは、とてもいいなと・・・正直な人です!

旦那さんの、曾お爺さんが日本人だったということで定住者のヴィザが発給され
最初は旦那さん、1年待ってからマリアと子供の二人が入国し、最初は旦那さんの
仕事の都合で、静岡県浜松市に住んだそうです。


話を聞いてますと、旦那さんの曾お爺さんどうやら旧日本兵だったようで・・・・・
           
             旧日本兵のイラスト(海軍)
激戦といわれたレイテ海戦の生き残り?とはっきりは話してくれませんでしたが
間違いなさそうですねぇ。

で、そのひ孫にあたる旦那さん、昔の日本人見たいな厳しい躾をされたようで
一度だけ会ったことがありましたが、礼儀正しい方でしたよ!
顔はまんまフィリピン人でしたがね・・・・・・

奥さんのマリアもフィリピン人の中でも、とてもまじめな人で考え方も
しっかりした奥さんですよ。

子供は二人、上の男の子は来春公立高校を卒業予定で、下は女の子で
小学五年生。
二人のお子さんも、よく日本語を勉強して馴染んだものだ、と感心してます。
まあ下の子は日本で生まれたので当たり前か、と思いますが・・・

日本に来る前、マリア夫婦は遠く離れたマニラでパン屋さんをしていたそうです。
朝、まだ暗いうちからパンディサールなどのパンを焼き、二人で頑張っていた
そうですがある日、立て続けに二人のご両親が亡くなりどうしても故郷のレイテ島
に戻らなければならなくなりました。

当然商売は辞めなければなりません!しかし田舎に戻っても仕事がない・・・・
食うや食わずの生活がしばらく続いたそうで、その頃を思い出すと今でも涙が
出ると、言ってました。

どうしようか?悩んだ二人は意を決して日本に来ることを選んだのです。
最初は旦那さんが余り乗り気ではなかったそうですが、マリアが必死に説得し
たそうです。そりゃ、このまま田舎にいても食うや食わずではねぇ・・・

日本に来たばかりの頃は、フィリピン人みんなそうですが苦労したそうです。
慣れない土地での慣れない生活・・・・仕事もあるし、ライフラインはしっかり
してる。しかし本国にいる時より、受けるストレスが大きい。

それでも頑張るしかないんだ!という揺るがない気持ちでやってきたと
胸を張るマリアでした。

ところが・・・・・そのマリアに病魔が襲い掛かります!

病名は教えてくれませんでしたが、他の人に聞くとどうやら膵炎だったらしいです。
恐るべし、フィリピン人!本人が知らないところで暴露されてしまうとは・・・

二度の手術を受け、無事に退院し普通の生活に戻ったのが4年前、とのこと。

やはり過度のストレスが原因なんでしょうかねぇ・・・・・・


彼らの凄いところは、二人の子供を育てながら二人で働いて異国の地に
マイホームを購入したこと。

日本人でもなかなか難しいことをやってのけるとは・・・・・・・
              家の見学をしている家族のイラスト
     凄いわ!
本日も最後まで読んで頂きまして、ありがとうございました。

いや、うらやましいわ!お題目を、必死に唱えればうちらでも買えるかなあ・・・
一軒家!無理 無理!では、本日のお勤めでございます・・・