そうだ!三途の川を渡ろう!
ド-バーが渡れるのなら三途もいける!推進委員会のpopeです!
毎日時間のある時に少しずつ書き溜めたものです。
子供の頃のこと、東京に出て初めて一人暮らしをした時のこと、初恋
多くの人に揉まれて成長させてもらったこと、地元に帰ってがっかりしたこと
などなど、アンポンタンpopeが如何に生成されてきたか?を思い出したくない
事を含めて、超個人的な話をしようかと思います。
6回目となるアンポンタン誕生秘話!
今回は父親が教えてくれたもの、ということで書いていきたいと思います。
前回、父親がゲルマニウムラジオ(鉱石ラジオ)のキットを買ってくれたと
書きましたが、これは父親の仕事が電機関係のものを取り扱うことだった
ことから息子にも興味を持って欲しい!と考えてのことだと思います。
実はここが父親の道と小生の道の分かれ所だったのですが・・・・
父親はモーターや発電機などの重電機を扱う仕事をしておりましたが
小生はラジオ少年から電子回路設計技術者を目指していくことになります。
ラジオ以外に父親から教えてもらったもので今でも忘れられない!というか
日本人のたしなみの一つ、とでも言えるのが箸の使い方!
これはねぇ・・・トラウマですね。厳しかった・・・・
小学生低学年ころから食事の度に、箸の持ち方についてガミガミ言われまして
食事どころではなかった!ですよ。
これを直せ!と・・・・・
時にはビンタをくらい、またある時には食事抜き!なんていう、今なら
間違いなく児童相談所駆け込み案件!でしょうね。
おかげ様でどこへ出ても恥ずかしくない、箸の持ち方が出来るようには
なりました。
そしてもう一つ、忘れてならないのが釣り!
外へ飲みに行くこともギャンブルもしなかった父親の唯一の趣味が釣りでした。
母親と結婚する前、母親の父つまり小生の祖父とよく釣りに
出かけていたそうです。
小生、よくは覚えていないのですがまだ3歳か4歳の頃、父親の背中におんぶ
されスーパーカブで雨の中、塩釜の岸壁まで釣りに連れ出されたことがww
出かける前には母親と口論!
父親は小生に向かって「行くか?」と聞き小生はうなづいた記憶が・・・・
風邪を引いたらどうする?だのもう知らない!だのと叫ぶ母親を無視した父親
が暴走した一幕、どういう流れでそうなったか?はわかりませんが・・・
その後成長するのに従って何度も連れて行ってもらいまして、釣りの楽しさに
覚醒しもれなく小生もりっぱな釣りキチに!
釣りというのは、餌のついた針から糸を辿っていくと竿を持ったバカがいる!
と言われるぐらいハマル趣味ですね。
釣りのハッピーセット!ww
例え!ですよ~いいですか~?た・と・え
この頃より17年後ぐらいには、毎週東京湾、相模湾、駿河湾と釣り歩いて
いるとは思ってませんでしたよ!
まさに釣りキチ!
この他にも凧を一緒に作って凧揚げをしたり、独楽の回し方(喧嘩独楽)など
いろいろ教えてもらいましたが、何しろ気分屋で物事に細かく昭和一桁生まれ
の悪いところを全部引っ提げたかのような人だったので、小さな頭で顔色を
見ながらはしゃいだり、おとなしくしたりと疲れることが多かったですね。
この父親のおかげで今の小生、必要以上に他人の機嫌を伺ったりするような
変に敏感な性格となってしまいww
長々と書いてしまいました!今回はこの辺で・・・・・・
次回は中学生時代編!思春期に突入し急に色気づくアンポンタン!
さて、しっかりと思い出すことが出来るでしょうか?・・・乞う、ご期待!
本日も最後まで読んで頂きまして、ありがとうございました。
父親に関する記憶に、お勤めでございます!
なんまんだぶ なんまんだぶ・・・